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( 2022/01/10 〜 2022/01/20 )


[2022/01/10] 日暮れどき、町の神社

新成人の門出を祝って訪れた、とある町の中にある神社。そこそこ大きい。

美しかったので、とりあえず写真を1枚アップしておくね。



場所は教えてあげないよ。おしまい。


[2022/01/10] ちょいと無礼講で言葉あそび

古い世代の人とかは、「男らしさ」とか「女らしさ」とか言って、
服装はもとより口調まで「〜らしさ」で十把一絡げに括っていたようだが、
今時、「てよだわ言葉」で喋る女性がいるかっつーの。

「てよだわ言葉」というのは、
上記のリンクから繋がるサイトを御覧いただければ分かるかと思うが、
要するに「〜だわ」とか「〜なのよ」という言い方。いわゆる女言葉。
ドラマとかでは聞くこともあるだろうけど、
実際にそんな喋り方をする女の人を町中で見かけるか?
見ないだろ、って話。

ああ、「歎異抄」が「難異秒」に見える・・・
「たんにしょう」ではなく、「なんいびょう」
私は文学には疎いからな。んなモン、中身はサッパリ知らねーよ。

「何様?」っていうと、「俺様」っていう。
「何者?」っていうと、「化け物」っていう。
「何モン?」っていうと、「ポケモン」っていう。
「何個?」っていうと、「うんこ」っていう。
そして後で虚しくなって、
「チッチキチー」っていうと、「往生しまっせ」っていう。
こだまでしょうか? いいえ、ひびきです。

・・・金子みすずさん、ゴメンナサイ。


[2022/01/11] 成人式に思うこと

日本では年々出生率が下がっており、
それに伴って新成人の人口が減っているのは既知の事実だが、
令和よりも前、平成に入ってから「成人」の定義が揺らいでいる。

数年ほど前から、満18歳になると選挙権を得て
公的な選挙に投票できるようになったのは記憶に新しい。
他にも、18歳になれば車の運転免許が取れるようになるし、
二輪(バイク)に至っては元々16歳から取得可能だ。

こうして国の将来を決める一員として政治に参加でき、
また、日本中の公道を自由に走行できるようになるということは、
それ相応の責任が求められるということでもあり、
立派に「成人」になったと言い換えることもできよう。

ところが、民法をはじめ、現行の一部の法律では
成人の定義が「20歳以上」となっている。

ただ、世界的にも18歳以上を成人と定めている国は多く、
調べてみると、日本政府も近く今年中にそうする方針であるらしい。

4月から18歳で「成人」。来年以降の成人式はどうなる? (Impress Watch)

そうなると「成人式」という名称も変更する必要が出てきそうだ。
たとえば、「二十歳(はたち)のつどい」とかに。

成人の定義が変わっても、10の位がひとつ上がって20とキリのいい数字であることに変わりない。
一生に一度のそのおめでたい瞬間をみんなで祝おうじゃないか!


それと、受験シーズン真っ只中にこんなコト言うのも何だが・・・

18歳かそのあたりの受験生たちよ。
一応、大卒の1人として私はアドバイスしておく。

大学へは行くな。

特に4年制大学。
よほどその分野の仕事で成功させたいという強い意志がない限り、
まず何らかの形で4年間遊んでしまう。
貴重な時間と金をかけて4年間をふいにする可能性があるのだ。
まして大学生活にかかる学費や生活費が、
自分自身で働いて稼ぐというのなら別だが、
親や奨学金から借りたり貰ったりするのであれば、それが一種の「甘え」となる。

車やバイクの教習所にしても同じ。
金がないなら働け。アルバイトでもパートでも派遣でもいいから、
お金を貰いながら社会勉強をするのだ。


あと・・・

ついでに読み物をひとつ紹介する。
ゲームが好きで、多少のジョークならOKという人は、とりあえず一度読みねぇ!

人生オンライン (アンサイクロペディア)

人生は、自分が主人公のゲーム。
そう思えば、一気に気が楽になると思うよ。


[2022/01/14] 怒りのエネルギーは凄まじい

私は小さい頃から短気な性格で、いまやそれがトレードマークにもなっている。
加えて妙にプライドが高く、機嫌が悪くなると見境がなくなることがある。

何事においても、私は何かをする時
まず最初に全体の様子を見て、
それを終わらせるのにどれくらい時間がかかるのか。
日数がかかりそうな場合は今日は何をどこまでやるのか。
それを、おおよそ頭の中で決める。

そして、一度決めたらそのスケジュールに従って行動する。

この時、横から余計な意見が入ってきたりすると混乱し、
しつこかったり自分と違う内容だったりすると怒りを覚えることがある。

そしてこれが積み重なると、バーサーカーのごとく暴走し、
「何が何でもやってやる!」となって、
他の全てを犠牲にしてでもやり遂げようとするのだ。

その時に放散される怒りのエネルギーは凄まじく、全身から大量の熱が放出される。
で、終わった頃には実際に部屋の気温が数度上がっていたりする。


私は、多くの日本人から見れば思考回路がマイノリティーであるそうで、
自分の価値観を理解してもらえないことがほとんど。
だが先述のとおり、私はプライドが高いし、
自分の考えをもってここまで生活して来れたという自信と実績があるので、
そういう状況にあってこそ実力を発揮できるタイプなのだ。

だから、怒りのエネルギーは時にプラスの方向へと働くこともある。
・・・と、私は思っている。


[2022/01/15] ピクリマFF6が楽しみすぎる・・・!!

「ファイナルファンタジー ピクセルリマスター」
このゲームのシリーズがあって、この記事を書いた時点では
FF1〜6までの全6作品のうち、FF5までの5作品がリリースされている。

そして先日、私はFF5をクリアし、これであとはFF6を待つのみとなった。

原作SFC版の時からグラフィックとBGMのクオリティーが高かった、FF6。
ストーリーも秀逸で、キャラクターの1人1人が立っている。

果たして、ピクセルリマスター版ではどう化けるのか?

禁断症状が現れそうだから、誠に勝手ながら画像を拝借。
(ただし、画質は落としてあるが。。)



上の画像の下から3段目に注目。
ゴゴ、ガウ、エドガー、カイエン・・・ うおぉぉーーー!!(喜びの雄叫び)
2段目にも、バナンやレオ、幽霊とおぼしきキャラのドット絵がある!

こちらもよろしく。(※別タブで開きます。)

ああ、楽しみすぎる・・・!!


[2022/01/17] 阪神大震災から27年



阪神・淡路大震災は、1995年(平成7年)1月17日に発生した兵庫県南部地震により発生した災害。
私はあの頃、兵庫県には住んでいなかったが、近畿地方には在住していた。
そのため、当時の記憶はまだ完全に消えたわけではない。

特に、宮田修さんの地震のアナウンスとか。
高速道路の橋桁が一斉に横倒しになった様子とか。

世界はまだまだ大変な状況ではあるけど、
今年も夜明け前の寒い中、いつもの場所で無事に追悼式が行われたようだ。

何もしてあげられないが、とりあえず画面の向こうで一人ご冥福をお祈りします。


[2022/01/20] FFの輪廻にまつわるセリフが深い。

人間は、死後の世界(あの世)に対する考え方を持っている。
それは一般的に「死生観」とも呼ばれ、しかも複数あるという。

まず、そもそも「あの世」というものが存在するのかどうか。

1つは「唯物論」と呼ばれるもので、
目に見える物質・物体を第一次的、根本的な存在であると考える思想。
自分が実際に見て聞いて触って、五感で感じ取れるものだけが全て。
それができるのは、現在生きている「この世」だけ。
よって、あの世の存在そのものを否定し、死後は何も残らない。
そのため、別名「無の思想」ともいう。

もう1つは「唯心論」と呼ばれるもので、
こちらは人間・社会において、心、もしくはその働きこそ至上の要因であるとする思想。
この場合は、自身が感じ取れないものを存在するものとみなすため、
「あの世」が存在しうる。

では、あの世において、死んだ人間はどうなるのか?
これも複数の説があって・・・
  • 死後は魂だけになって、半永久的に墓の中に眠っている。
    この場合、死者は「この世」に留まり、この世の者と間接的に関わることもある。
    自我は残る。
  • 死後は肉体ごと「この世」とは全く別次元の「あの世」に転移する。
    この場合のあの世とは、天国や地獄のこと。
    こちらも自我は残る。
  • グレートスピリッツ説。
    死後、死者の魂はひとつに溶け合い、星に還る。
    こちらは自我は失われる。
他にもあると思うが、いずれも正しく、また正解でもない。
なぜなら、死生観は人それぞれだから。


・・・とまあ、これだけで1つの記事ができそうなものだが、
ゲーム好きな私は思った。

FF(ファイナルファンタジー)というゲームには、
こうした死生観――ことに、輪廻転生にまつわるセリフが結構多いことに。

例えば、FF9のガーランドのセリフ
ナンバリング作品でガーランドが初登場したFF1では
2000年の時の輪廻を繰り返していたが、それと関係はあるのだろうか・・・?

また、同じくFF9の黒魔道士・ビビのセリフ
ビビ・オルニティア。名前には姓名ともに由来があり、
ビビ=命(イタリア語"vivi")、オルニティア(オルニット)=鳥(ギリシア語"ornit")
彼の境遇を考えると・・・・・切ない。

ほかには、FF6のケフカのセリフもなかなか深い。
命、夢、希望。どこから来て、どこへ行く?
いにしえの日本でも、かの『方丈記』にも
「知らず、生れ死ぬる人、いづかたより来たりて、いづかたへか去る。」とある。

FFシリーズの産みの親は、坂口博信。
FF7のライフストリームにしても然り、
おそらく、彼の死生観が色濃くゲームに現れたのだろう。

その死生観は、グレートスピリッツ+ガイア理論らしい。