_127 【特別版】
( 2019/12/30 )


[2019/12/30] 【宿泊旅行レポート】 飛騨高山&穂高岳 1泊2日の一人旅 (1/2)

年末、12月の28日から29日の2日間にわたって、私は1人、1泊2日で旅行に行ってきた。
旅行先は、岐阜県北部の高山市。
飛騨高山と、山奥にある雪深い穂高岳の山頂。

岐阜の奥座敷・飛騨地方に懐かしきものを求め、
現地の生活の歴史や、昭和の日本を体感。
さらには雪山・穂高岳の上へとロープウェイで一気に登って
大自然の素晴らしさを全身で体感した、今回の旅のレポート。

写真が多く使用されているため表示が重くなるかもしれないが、あしからず。




【1日目】


早朝6時ちょうどに自宅を出発。
ただ早朝とはいっても、自分の宿泊旅行の出発時刻としては遅いほう。
たいていは5時台には出発してるからね。

京都駅八条口から高速バスに乗って、一路岐阜県高山市へ。
渋滞に遭うこともなく順調に進み、
ほぼ予定どおりの13時前には高山濃飛バスセンターに到着した。

・・・まあ、鉄道だと5時半に自宅を出発すれば10時半頃には着くんだけどね。
でも、交通費がバスに比べて倍以上かかるということだったので・・・
今回は長距離の移動手段に高速バスを選んだ。


さて、無事に高山市に着いたので、ここから旅の始まりである。




バスセンターではまず、2日目に使う「奥飛騨まるごとバリューきっぷ(2日間)」を6000円で購入した。
観光用のパンフレットをいくつもいただいて、旅のルートを決めて、と・・・

写真が多いので、ちょっと飛ばして書いていくね。
飛ばす。「飛騨」だけに(笑)


昔の町並みを散策し、いろんな店を見ながら、
途中、高山の代名詞とも言える赤い欄干の橋「中橋」(なかばし)を渡った。
車は通るし、観光客もかなり多い。



外国人観光客は、欧米の人も結構いたけど、ざっと見た感じ
喋ってる言葉から中国人が一番多かった。

古い町並みでは、京都と同じように人力車がお客さんを待っていた。



ある建物には、「ライオン歯磨」や「ミツワ石鹸」などと書かれていた。
ライオンとはもちろん私たちにおなじみの、デンターやクリニカを作っている会社である。




次から次へと新しいものが目に入ってくる・・・!!
それはもうお上りさん丸出しで、そこらじゅうのものを見るたびに
小声で「オォーッ!」と叫んだものだ。それくらい新鮮に見えた。

こうしているうちに、この日1つ目のメインスポット・高山陣屋に到着。



高山陣屋は、江戸時代に飛騨が幕府直轄領(天領)となってから、代官や郡代が執務した役所。
それだけに、入口の門構えからして立派で、正面玄関に続く石庭も手入れが行き届いていた。

石庭は順路の左右にあり、片方は海の波のような模様だったが、



もう一方は六角形の亀甲模様だった。




中に入ってみると、江戸時代に使われていた道具がぎっしり!



ああ、こういうのを見るの、大好き!!

料理用のかまどがあって、トイレは雪隠(せっちん)だ。
天領の役所だけに内部は迷路のように入り組んでいて広く、
各役職ごとに詰所が用意されており、女中部屋もあった。

下の写真のような囲炉裏も複数あった。



とある畳敷きの部屋は、なんとあの羽生善治が将棋の対局を行なったことがあるという!



役所らしく、人を中に乗せて運ぶカゴが備えられていた。

しかもカゴは複数種類あって、同じカゴでも
大名クラスの重役をお運びする場合は、重厚にあつらえられたものを使うが、



一方で犯人を捕まえて御用とする時には、下のようなカゴが使われたそうな。
まさに「捕物」である。



こうした役所の規模の大きさからもわかるように、
この飛騨の役所が当時、いかに大きな力を持っていたか。
それは、年貢として納められた米俵の数の多さからも分かる。



江戸からも京都・大坂からも、距離的にちょうど同じくらいの所にある飛騨。
関東と関西。本当の意味での「関」はかつてこの飛騨地方だったのかもしれない。


次に向かったのは、2つ目のメインスポット・飛騨高山レトロミュージアム。



入口には、金鳥の菱形の看板をはじめ、昭和を代表するたくさんの看板が飾られており、
昔の町並みの中でもひときわ異彩を放っていた。

館内では、クソうるさい歌が延々と流れていた。
このミュージアムのテーマなんだけど・・・
どんな歌か気になる? 聴きたい人は下の動画をご覧になってみて。
(動画の提供者様、お借りします。)



(高山)陣屋を背にして中橋を渡ると・・・
まさにその場所に、昭和の香り漂うこの博物館があった。

その看板に偽りはなく、まさに昭和が凝縮されていた。これが結構面白い!

ここまでに私はまともな昼食を食べていなかったので、
昼下がりにここへ来たからついでに、と
昭和の学校の教室をイメージした部屋で、昭和の学校給食をいただくことに。



大人用のフルセットだから給食にしてはボリュームが多かったが、
どれもおいしくてあたたかく、ビン入りの牛乳もどこか懐かしく感じられた。
さらに追加で、後から冷凍みかんももらった。

教室には黒板や足踏み式のオルガンなどもあったが、
特にマッチ箱のラベルを集めた本は見ごたえ充分!



ここが高山だからか、マッチ箱も高山の会社の名前が多かった。
見たこともない名前ばっかり! 今は存在していないものもたぶんあると思うが・・・。

雰囲気は昭和そのものだけど、時は紛れもなく令和である。



昭和のおもちゃに触れて遊べる!
けん玉をやってみたけど、横に2つある玉乗せ台(?)のうち大きいほうに乗せようと
奮闘したところ、100回中2回しか乗らなかった(泣)



この部屋では、ファミコンとスーパーファミコンの実機本体とカセットがあり、
ここで昔のゲームをプレイできた。
たまたま知ってるゲームがあってプレイしてみたら、
最初は何回かミスしたものの、すぐにクリアできたりもした。

いやー、案外カラダが覚えてるものなのね。


ほかにも、こういう部屋もあった。


昔の駄菓子屋でよく見かけたようなアーケードゲームが置いてある部屋



ナショナル(現・パナソニック)をはじめとした昔の家電、赤電話



昔の散髪屋。しかもラジカセ付き!



昔の診療所 (これはちょっとコワイかも・・・)



などなど。
昭和末期とはいえ仮にも昭和生まれの私にとって、
いくつかのものは実際に経験してきただけに、とてもワクワクして楽しかった!


そして3つ目のメインスポットは、飛騨高山まちの博物館。



高山市の歴史を知ることができる博物館。
先に高山陣屋で見たとおり、高山は東西の交易の要衝として
江戸幕府に見初められるほどの栄華を誇っていた。

が、そのためか、後の大戦では空襲を受けたという。



当時のアメリカ軍が爆撃を実行する時、
事前に爆撃予告のビラを空中から爆弾でバラ撒いていたらしい。

戦前は、子供たちに対する国語教育では、同じ発音のカナ文字でも
「イ」と「ヰ」、「エ」と「ヱ」などを分けていたそうな。



数ある展示物の中でも、木製のスキー板とストックは個人的に目を引かれた。



江戸の世から規模の大きい町だけに、
当時は地区ごとに火消し団が活躍し、それぞれののぼりを作っていた。



ちなみに、今でもたまに聞くことがある「火の用心」とは、元々「火乃要鎮」だった。
火事が起きたら、火を鎮めるを要する。
それが時代の流れとともに転じて、火事を起こさない、用心するに越したことはない
という意味になったんだそうな。



といった感じ。
これほどのボリュームで無料。しかも年末も開いていたのだから立派!


やがて日が暮れかけ、外はだいぶ寒くなってきた。
宮川朝市の会場を通り抜けた先に大きな鳥居があったので行ってみた。

そこは、桜山八幡宮という神社。



ここで1日の旅が無事に終わったことに感謝し、
洋風の街灯が立ち並ぶ小さな橋を渡って、宿泊先のホテルにチェックイン。
1日目の旅が終わった。






レポートのつづきは、2日目に続く。