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( 2018/04/14 〜 2018/04/17 ) [2018/04/14] 「ロッコちゃん」はクソゲーである。 いつのことかは忘れたけど、 かつて「ロッコちゃん」というブラウザゲームをプレイしていたことがあったのよ。 そのゲームの実体は、あのカプコンのアクションゲームの名作 「ロックマン」をパクり、ロッコを主人公に差し替えたもの。 プレイし始めて最初のうちは、結構ハマった。 特に、ホッケーマンステージのBGMには惚れたものだ。 しかし、ジェットマンステージなど鬼畜なステージも多く、 BGMも気に入らないヤツのほうが多かった。 ドクターマッドのステージ1の音楽は、あまりにもオクターブが高すぎて 聴いているだけで疲れる。 この苦痛に耐えながらも何とか最終ステージまで到達。 例によってボスラッシュがあったのだが・・・ 何、あのボス戦のBGM? 本編のボス曲とは別の曲に変わってる。 早く倒せと言わんばかりの、何ともやっつけ臭い曲。 ラスボスは、まあ戦い甲斐があったかな。 だが総じて自分にはあのゲームの操作方法が受け付けなかった。 仮にもロックマンをベースにしているのであれば、スライディングくらいできないとな。 スライディングできないロックマンなど、ロックマンじゃないわい!(怒) 所詮は2流の海賊作品。よって、私は「ロッコちゃん」をクソゲーと認定する。 [2018/04/15] 春の風景写真をいくつか 桜の見頃は終わってしまったけど、それでも春たけなわの日々は続く。 とりあえず、近場の園地で自然の風景の写真を撮ったので、6枚ほどアップしておくね。 でも、場所は教えない。 おしまいだにゃ。 [2018/04/16] 猫は人間によく似ている 猫は、何度見てもかわいいねえ! 丸い体に、丸い顔。ふさふさした毛並み。 腕に抱き上げれば、体温を感じられてとてもあたたかい。 「ニャーオ!」という鳴き声もかわいい。 でも、猫は肉食動物であり、縄張り意識も強い。 また、感情や好き嫌いもあり、 自分が嫌いな人が近づくと低い声で唸って全身を大きく見せ、威嚇する。 そして、自分勝手であり、常に自由に行動したがる。 このへんは、人間とそっくりだ。 私は猫が大好きだ。できれば1匹くらいとは生涯を共にしたい。 しかし、私は「ありのまま」を座右の銘として生きている。 人間同士であれば意見や価値観の違いから対立することもあるが、 相手が人間でない場合は、自分の価値観を押し付けることはできない。 猫は自由奔放な動物であり、本人(本猫?)もきっとそう望んでいる。 また、私自身もかなり自分勝手な人間であるため、仕事以外では基本的に相手に縛られたくない。 よって、猫は好きでも猫は飼っていないし、飼い方も知らない。 まあ、それでいいんじゃないの。お互い似た者同士なんだからさ。 [2018/04/16] 「けしからん」の反対語 「けしからん」という日本語があるけど。 これは「けしからぬ」なので、「けしからない」という否定の意味である。 よって、その反対語は「けしかる」である! ウソだけどな! 本当は、「けしかる」という動詞は無く、「怪し」または「異し」という古文の形容詞が起源だそうな。 時代とともにこの単語は「けしからず」→「けしからぬ」→「けしからん」と変わっていき、 本来の意味は、普通と違い異常である、という。 それが転じて、「とんでもない」「不届きだ」という意味として使われるようになったらしい。 「〜からず」は本来、打ち消しの意味で使われるが、 「けし」に限った場合は、「けし」どころではない、 つまり、怪しい・異質どころではない、とんでもない という意味になるというお話でした。 ・・・なので、「けしからん」の反対語は、ない。 まったく私としたことがけしからん!(笑) [2018/04/16] 自分の「バカ」は相手の「バカ」 犬は飼い主に似るのか、それとも飼い主が犬に似るのか。 犬を飼ってたり犬が好きな人に限って やたらと犬みたいに自分の気に入らない人に噛み付いてくる傾向がある。 まあ、私個人の経験上そんな気がするというだけのことだが。 人間の世界では「馬鹿は相手にしない」、これが基本中の基本。 馬鹿と戦っても負けるだけだし、時間も神経もいたずらにすり減らしてしまうだけ。 だから、そういった連中は相手にしない、無視するのが一番だよ。いやホント。 ここで言う「バカ」とは、自分とは明らかに異なる価値観を持ち、 話し合いをしても言い争いになって相容れない、またはそのように推測される人のこと。 そういった人のことを私は「バカ」と定義する。 よって、私にとっての「バカ」は、その「バカ」にとっての「バカ」であり、 その「バカ」からすれば、私が「バカ」という扱いになる。 ・・・なんだか書いてるうちによく分からなくなってしまった。 こんなことをわざわざ書く私こそが、本当の意味での馬鹿なのかもしれないね。 [2018/04/17] ネガティブも個性のうち どちらかといえば私はネガティブな性格である。 新しいことを始める時、まず自分にとって何か得になることはあるか、それを考える。 また、知らない人に出会った時、その人は自分にとって敵か味方か、それを決める。 0か1か、そのどちらかしかない。損得勘定で物事を考えるのだ。 当方は長年、検査の仕事をしているが、それと関係があるのかどうかは分からないが 何事もまずは疑ってかかることから始める。 ・・・とまあ、このようにネガティブなのである。 ただ、こうした性格の人間は世の中に一定数いるわけで、 彼らはネガティブであるが故に、むしろ社会に必要とされている。 なぜならば・・・ この前、こんな記事を見つけた。 氏曰く、「ポジティブ思考とネガティブ思考、どちらも素晴らしい!」 とかく世の中ではポジティブな人のほうがネガティブな人よりも好かれ、良しとされ、 逆にネガティブは、それ自体が悪いもののように見られる風潮がある。 が、そんなものはただ単にマジョリティーたるポジティブシンキングの人間たちが 勝手に決めつけた偏見であり、ともすれば差別である。 対するマイノリティーたるネガティブシンキングの人間たちは 何の言われもなく社会に淘汰されてしまう。 これは、まるで右利きに対する左利きのようなものだろう。 絶対おかしい!!(怒) ただ・・・、ちょっと気になった。 「性格」と「考え方」と「価値観」、これらはどう違うのだろうか? これについてはまた後日調べることにしよう。 とにかく、ネガティブはその人の個性のひとつである。 誇りを持ってネガティブに生きてこうじゃないか! 人間、心が平和なのが一番だーよ。 |